よろづやの歴史 よろづやの歴史 | 戦後〜平成にかけて創業の頃明治年間〜昭和初期戦時中の困難=戦後〜平成にかけて
 
 昭和20年8月15日終戦とともに、温泉旅館は戦時中の疲労を回復し、明日の活力を蓄える絶好の湯治場となり、需要は増大し、農家は米持参で訪れ、旅館も賑わいを取り戻しました。

 当館は、戦後の社会経済の変化に対応するため、昭和23年5月25日に組織を有限会社に改めました。
宿泊料は著しい物価高騰により、会社設立当初は1泊2食90円でしたが、1年後には10倍に値上げしました。

 戦後、旅行需要の増大にともない、宿泊客のニーズも変化しました。
館主小野博は、修善寺の新井旅館の天平風呂に倣い、安土桃山時代の伽藍建築の粋を集めた大浴場を新築すべく、設計は日劇や善光寺納骨堂を手がけた沖津清、棟梁は社寺建築に巧みな地元の大工市川正主のもとに、昭和26年(1951)年初より着工し、約3年の歳月をかけて「桃山風呂」が昭和28年9月に完成しました。
浴室の総面積約200平方メートル、湯船は約40平方メートル、容積24トン、洗い場は笠間の稲田石で固めてあります。
 
完成当時の桃山風呂(昭和30年頃)
●完成当時の桃山風呂(昭和30年頃)
 
完成当時の大野天風呂(昭和30年頃)
●完成当時の大野天風呂(昭和30年頃)
 
 続いて庭園風野天風呂の工事に移り、翌年の10月に完成しましたが、従来の源泉だけでは湯量が不十分だったため、引き続いて河原地区へボーリング掘削を3本試みたところ、いずれも成功し「100度の熱泉、100尺の噴湯」を湧出しました。
 
新たにボーリングに成功した当館源泉
●新たにボーリングに成功した当館源泉
 旅館は絶えず施設の改装が必要です。
昭和27年6月9日運輸大臣より国際観光ホテル整備法に基づく「政府登録国際観光旅館」となり、内外の観光客に向く施設の整備を行いました。

  昭和34年には隣地の旅館を買収してよろづや別館(現アネックス湯楽庵)を設立。
昭和44年には、木造の本館を近代的な鉄筋コンクリート造8階建てに改築し、大型旅行時代に対応する施設になりました。

さらに昭和50年には、別館を鉄骨鉄筋コンクリート造に改築し、昭和61年には本館で大掛かりなリニューアル工事を行いました。
折からの露天風呂ブームに乗り、当館の大野天風呂は毎月のように雑誌やテレビで紹介され、お客様が飛躍的に増えました。
竣工当時の本館ロビー(昭和44年)
●竣工当時の本館ロビー
(昭和44年)
 
新築なったよろづや本館(昭和44年)
●新築なったよろづや本館(昭和44年)
 

 長野オリンピックが決定したのを受け、平成8年12月には隣接の旅館の敷地を譲り受けて本館の増改築工事を行い、婦人風呂・コンベンションホールの新設、合わせて客室の改装を行っております。

 長野冬季オリンピックの期間中はゴールドスポンサーの宿として、内外のVIPにご宿泊いただきました。
大会は途中から異様な盛り上がりを見せ、私どもにとっても忘れることの出来ない貴重な体験となりました。

 
平成15年12月1日、松籟荘と桃山風呂が文化庁より国の登録有形文化財の指定を受けました。
今後は、建物の維持管理に今まで以上に配慮し、日本の旅館建築を代表する貴重な文化遺産として守りぬいていく所存です。

 一方、旅行形態が団体旅行から個人客・家族客主体の旅行にシフトし、お客様の旅館での過ごし方も様々になってきたことに対応し、平成17年4月には、別館アネックスをB&B(一泊朝食)形式の格安で自由気ままな旅を提案する宿「湯楽庵」にモデルチェンジしました。
いままで温泉旅館ではあまり歓迎されなかった一人旅も積極的に受け入れるようにしております。

 よろづやは、二百年の伝統を継承しつつも、時代の変化に適応しながら随時新しい経営感覚も取り入れて、今後の更なる歴史を刻んでまいりたいと考えております。

 
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信州湯田中温泉 よろづや本館 松籟荘
湯楽庵よろづやアネックス



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