この書は有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)(1835−95)の芳墨「楽」です。 熾仁親王は皇族、陸軍大将。孝明天皇の妹和宮(かずのみや)とは許婚者。 文久2年(1862)公武合体のため婚約解消となり、和宮は14代将軍家茂に降嫁したが 家茂(いえもち)の死により僅か4年で結婚生活は断たれ、髪を切り静寛院宮となり江戸城に住まう。 明治維新を決定づけた戊辰戦争が慶応4年(1868)1月勃発するや熾仁親王は東征大総督として この江戸城を攻撃することになる。 この時参謀は西郷隆盛であったが明治10年(1877)の西南戦争では反乱軍にまわり、 この征討総督となったのが熾仁親王であり、皮肉なめぐりあわせというほかない。 熾仁親王は後、元老院議長、参謀総長を歴任する。