大雅は洛北に生まれ、字は霞樵、一般に大雅堂の号で知られている。 当時、東洋画には宮廷画の北宗画と在野的な文人の絵の南宗画があった。 大雅は南宗画を極め、東洋的絵画の伝統の上に独自の様式を確立、棟梁的な存在にまで昇りつめた。 この荘子の図は筆意の妙に品位の高きを見せ、絵と詩を融和させた大雅円熟期の傑作のひとつと評される。